天文学者が食べていくには2(ガリレオ)

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天文学者がどうやって生計を立てながら研究を続けたかということについて
先々週はコペルニクスについて書きました。
今週はガリレオ・ガリレイについて見ていきましょう。
コペルニクスは兼業タイプでしたが、ガリレオはパトロンに支えられたタイプになります。
ガリレオは、 天体望遠鏡を製作し、
太陽に黒点があること、月にはクレーター(図1)などの起伏をもった地形のあること、
木星には4つの衛星があることなどを発見したことは有名です。
木星の4つの衛星をガリレオ衛星と私たちは呼んでいますが、
ガリレオはメディチの星と命名し、メディチ家に生活を支えてもらっていたことをよく表しています。

ガリレオの生きた時代の背景としては、
商業活動の活発化によって巨額の富を蓄える大金持ちが現れたことが重要です。
ガリレオを支えたのはフィレンツェのメディチ家です。
ハプスブルク家やヴァロア家などの名前をご存知の方もおいでと思います。
こういった大富豪が競って文人や音楽家を雇い、小国家の支配をしていた時代です。

ガリレオの父の友人である
コジモ一世のお抱えの数学者オスティリオ・リッチから数学の指導を受け、
ガリレオは若いうちから能力を発揮して数学の論文を発表し有名になっていったそうです。
このことから、ある程度豊かな家庭に生まれ育ったと言っていいでしょう。

25歳でピサ大学に就職しています。
ピサの斜塔(図2)から物体の落下の実験をして、
重いものも軽いものも同様に落下することを示したという話は有名です。
ここで興味を引くのは、当時の大学ポストはたいてい任期付きで、
ガリレオのこのポストも任期は3年でした。
そして、3年後また就職活動を行って別の大学に移っています。
日本の大学でも最近は若手のポストはほとんど任期制になり、
強い競争社会になっています。

ガリレオは次にパドヴァ大学に任期6年の職を得て、
ここでは任期の延長に成功しています。
といっても給料はそんなに良くなかったようで、
学生宿舎を経営したり個人教授のアルバイトをしています。
また、研究には大学の授業も負担だったようで、
次の就職先であるトスカナ大公付首席数学者への志願書では、
「大学への授業やアルバイトの負担が大きく研究に没頭できない」と訴えています。
また、「雇っていただければ最先端の成果を献上でき知的興味を満足していただけるだけでなく、
防衛・軍事に役立つ知識を提供いたします」とも書いています。
これらのことは、時代を超えて科学者の持つ性格をよくあらわしていて、
現代にも通じるものがあると感じます。



図1 ガリレオが残した月の表面のスケッチ (適当にトリミングしてください。撮影は柴田ですが記載がひつようかな? ガリレオ博物館で撮ったものです。) http://www.shibatashinpei.jp/lib/yamashin/684-fig1.jpg
図2 ピサの斜塔(物体の落下の実験をしたと伝えられる)(これも撮影は柴田です。90度回転してください。) http://www.shibatashinpei.jp/lib/yamashin/684-fig2.jpg
本文終わり
references will be note-684