かんむり座には日本の星座起源ばなしがあることをみつけました。

(1)
面白事に埼玉県の秩父地方では、冠座を「首飾り星」とよんでいた。
平安中期の武将、平将門は藤原秀郷との戦いに敗れました。
その原因は娘の桔梗姫が秀郷と内通したためと信じた将門は姫を成敗した。
桔梗姫の死をおしんだ秀郷が、彼女の首飾りを空に投げるとこの星になったと
伝えられている。

(2)
『吉田風土記』
埼玉県秩父の吉田風土記によると、
かんむり座の半円形は“首飾りの星”の名で呼ばれていたようでです。
その伝えるところによれば1100年ばかり前の平安前期に起こった
平将門の乱の折り、藤原秀郷の軍に攻め立てられた
平将門たちは、いよいよ身の置きどころが無く最後の一戦を交えてから
再起すべく、城峯山の洞窟に身を潜めることになりました。
ところが そのことを将門が寵愛していた桔梗姫が、
秘かに秀郷に報せてしまったのです。
密告と裏切りを知って怒った将門は、姫をその場で斬り捨ててしまいました。
それを憐れんだ秀郷は、姫がつけていた首飾りを手にとり、
空中たかく投げあげたところ、天上に舞い上がって星空にかかり、
“首飾り星”なって輝きだしたといいます。

(3)
埼玉県秩父地方吉田町では、かんむり座を「首かざり座」と呼んでいた。

平安中期、吉田町にある城峯山というところで、平将門(たいらのまさかど)と
藤原秀郷(ふじわらひでさと)との合戦が行われた。

平武将、平将門(たいらのまさかど)は、藤原秀郷(ふじはらひでさと)
の戦いに敗れてしまった。

戦に破れた平将門が洞穴に身を隠したところ、
桔梗姫(ききょうひめ)の侍女がそれを敵方藤原秀郷に密告した。

娘の桔梗姫(ききょうひめ)が、秀郷と内通したためと信じたは
姫を一刀のもとに斬り捨てた。

桔梗姫の死を哀れんだ秀郷が、彼女の首かざりを空に投げるとこの星になって輝き
かんむり座になったと伝えられている。

同様のはなしがいずもさんのページにもあるのでかなり知られているものと
思われる。

捕捉:歴史
承平・天慶の乱
桓武天皇の曾孫高望王(たかもちおう)は、9世紀の末に平姓を賜わって
上総介(かずさのすけ)に任ぜられて東国に下ったが、
その子国香(くにか)らは10世紀なかごろ東関東に根をはって有力な豪族と
なった。ところが 935(承平5年)国香の甥将門は一族と私闘をはじめ、
やがて 939(天慶5)年、国司に租税を納めないため国を追い出された
領主を助けて常陸の国府を占領し、ひきつづいて下野、上野などを
うばい、国家にそむいて自立した。かれは自ら新皇と称し、従う土豪
たちを関東各国の国司に任じ、下総に今日とを模した王城をつくり、
文武百官を任じて律令国家にならった小国家をつくった。
同じ頃、西国では、前に伊予掾であった藤原純友(すみとも)が伊予
日振島を根拠にして海賊を行い、太宰府に侵入して略奪放火をおこなった。
東西同時に起こった内乱に朝廷は大いにおどろき、940(天慶3)年それぞれ
追討使を任命したが、将門は、一族の平貞盛や下野の豪族藤原秀郷(ひでさと)
と戦って敗死し、純友は追討使に捕えられて殺され、941(天慶4)年に
乱はしずまった。これを承平・天慶の乱という。

(日本史 自由書房 高校教科書より)