久米島の太陽石
沖縄本島の那覇から西に約100kmにある久米島を訪問しました。
そこにはウティダ石という大石があります(写真1)。
ウは尊敬を表す接頭語で、ティダは太陽の意味だそうです。
翻訳すると「おてんとうさま石」ということになりますが、
一般には太陽石と訳されています。
今からおよそ500年前、堂の比屋という人がこの石に寄りかかって水平線の向こうの島々の間から出てくる日の出を観測したそうです。
日の出の方向と島の位置関係から季節の移り変わりがわかるからです。
現代の私たちは電子機器の助けで日付を間違えることもなく、
また、春分・秋分、夏至・冬至がいつであるかも難なく知ることができます。
しかし、昔はそんな便利なものはありません。
堂の比屋の時代にどれほど暦が普及していたかははっきりしません。
堂の比屋は日の出の方向を観察し農事の進行や季節の移り変わりを島の住人に知らせたそうです。
その功績が讃えられ今に伝えられているのです。
具体的には図2の様に、ウティダ石から観察して、
渡名喜島の北端が真東で、ここから日が昇れば春分・秋分、
粟国島の方向から昇れば夏至、久場島の方向から昇れば冬至になり、
一年を通して太陽は粟国島と久場島の間を往復します。
これによって正しく季節の循環を知ることができるのです。
実際に測ってみると、図2のaとbは同じ長さでcはそのちょうど二倍になっています。
そのため、真東から粟国島と久場島方向はそれぞれ26.5度離れていて、
そのため夏至と冬至の日の出方向に一致します。
宇宙科学の粋を集めたGPS衛星の時代も天体を観測して暦を作った昔も
常に人間と宇宙は結びついているようです。
(資料を提供くださいました久米島博物館の皆様、
調査に協力くださいました牧志ほしぞら公民館の宇久淳子さん、
星空案内人の田代祐子さんに感謝申し上げます。)
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図1=写真1 ウティダ石
http://astr-www.kj.yamagata-u.ac.jp/~shibata/yamashin/513-fig1.jpg
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図2 久米島から見た島の方位
http://astr-www.kj.yamagata-u.ac.jp/~shibata/yamashin/513-fig2.jpg
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図2 夏至の日の出方向(参考図で記事には掲載しない)
http://astr-www.kj.yamagata-u.ac.jp/~shibata/yamashin/513-fig3.jpg
本文終わり
パワポ
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references will be note-513